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初孫でチヤホヤ、オギャーと泣けば誰かが駆け寄る

父は会社員で、母とは社内の登山サークルで知り合って結婚。ワクワクするものが「自然」というのが共通の夫婦ですね。埼玉県川口市(旧鳩ヶ谷市)の母方の祖父母と同居。

0才から1才半まで、看護師の祖母と、幼稚園の送迎バスの運転手をしていた祖父にかわいがられて、幸せな日々を送りました。母の三姉妹の妹二人も一緒で、さぞや賑やかな毎日だったと思われます。

「幸せは長く続かない」ものなのか?!

父の仕事の都合で、東京・三鷹市の社宅へ転居。大好きな祖父母・おば二人とも離れてしまい、無意識レベルでは寂しさが募ったのと、「幸せは長く続かない」という裏メッセージを受け取った可能性が!

エネルギーが内向したのか、外遊びと絵を描くのが好きな子に。
感情表現が下手で、アトピー性皮膚炎が小学低学年まで続きました。思い通りにいかないとイライラを自分にぶつけていた訳です。

小学4年で山登りに目覚める!まんまと両親の趣味にハマる。

小学校時代の思い出といえば、家族4人での毎夏の縦走登山です。父はコンピュータのシステムエンジニアをしていたので、普段はとにかく忙しく早朝から深夜まで働いていました。

山岳部出身の父の登山は、日帰りどころではないガチな数泊。一度登ったら尾根伝いに山を降りずに歩き続ける山行でした。両親のおかげで私は青空、緑、湧き水、森の魅力を知り、以来ずっと自然が好きになります。

サッカーチームにどこか馴染めず。最後のひと押し・闘志に欠ける?

小学4年からサッカーチームに入団しました。毎週土曜に練習があるのですが、皆は所定の練習が終わっても残って遊んでましたが、私はすぐに帰宅(笑)。疲れると気力が落ちて気分転換したくなるのは、昔からですね~

どうも、昔から勝ち負けの競争はあまり好まないところがありました。イイ格好しいで、負けず嫌いではあるのですが、根気が続かないというか、集中力が切れて、他に興味が移る傾向があるようです。

高校・大学は硬式テニスにハマる。ここでも勝負よりスタイル重視。

職人肌のところがあるんでしょうね。厳しいコースを狙って相手が届かないエースになるとか、ボレーがビシッと決まるとか、思い描いた試合展開になるとか、そういう理想を形にするのが好きなようです。

あえてアウェーな環境で浪人。直前で肺炎になったことで合格?!

父親があの世代としては珍しく浪人経験があったので、現役合格を諦めて浪人生活。

予備校生活の終盤、受験1ヶ月前の12月に疲労が蓄積して、まさかの肺炎で2週間の入院生活。ベッドで寝ながら、遅れていた世界史の勉強をテープ学習で乗り切る。むしろ、そのおかげで結果的には受験をクリアできたといっても過言ではありません。棚ボタというか何というか。。

テニス&バイトで週7日稼働。合間に大学。可処分所得が社会人によりも多かった?

練習が多めのガチなテニスサークルに入り、家庭教師・フレンチレストラン・カラオケのバイトを掛け持ち。結果、大学にはバイトの合間に行っているようなもの?

じつは身体を動かすのが好きだった。現場で人と働くのが好きだった。やはり実際に体験しないと、分からないことってありますね。家庭教師で子どもに1対1で教える経験も、仏レストランでコースを進行させていく目配りも、あとで仕事の面で大いに役立ちました。

大学3年からの「市場と文明」ゼミが面白かった。人類は「夢」があるから進化していく!

大学は商学部だったので、将来の就職などを考えれば簿記やマーケティングのゼミが人気なのですが、私はそんなに授業を重視していなかったので成績が良くなく、少人数の弱小ゼミへ。でも、それが良かったのです!

ゼミの人数が少なかったのは理由があって、先生が頑固そうなのもありましたが、ゼミ合宿が登山だったから、という話があります。会津の檜枝岐村に泊まって焚き火を囲み、尾瀬の湿原へ、という私にとっては大好きなコースでも、女子は敬遠するんですね。漢くさいアウトドア合宿ですが、その後のキャンプブームを先取りしていた、ともいえます。

就職活動は「人の行かない道を選ぶ!」銀行・商社を受けずにベンチャー投資会社へ。

1995年4月~1999年3月(23才~27才、4年0ヶ月)
日本アジア投資 株式会社 大阪支店 投資課
日本2位の独立系ベンチャーキャピタルにて、投資候補先企業の発掘と投資後の育成業務に携わる。

父が入社した財閥系の化学会社は、エネルギーが石炭から石油に変わる途上で成長しました。平均年齢も若く、新しいことに挑戦できる雰囲気があったそうです。だから、父親の就職に対する助言は一つだけ。「これから伸びる会社を目指せ」と。コレ一見、説得力はあるのですが、「これから上がる株を買え」というのと同じで、じつは難しくないですか?(笑)

配属は大阪。全くのアウェーな商人の街でゼロから新規開拓営業!

全く縁の無かった関西に配属され、4年間で大阪・兵庫・京都・奈良のさまざまな業種における未上場の成長企業約800社を主に飛び込み営業から訪問。

会社自体もJASDAQ上場前の知名度の低い状況の中で、経営者への飛び込み訪問を最大の強みとし、新規開拓に大きな成果を上げた。
<実績> 
・4社に対し3億2千万円を投資実行。うち1社は株式上場。
・4年目の1999/3期上半期に西日本エリアで営業実績トップに。

最初の結婚と転職。27才で東京に戻ることを決意。

1999年4月~2002年8月(27才~30才、3年5ヶ月)
株式会社サンワールド 取締役 経営企画室長
知的財産権の商品化業務を行うベンチャー専門商社(社員100名・売上高50億円)にて、新設された経営企画室の長として東京支店の立ち上げに参画。

1999年というのは、ビットバレーが有名となりIT創業ブームが起きていました。20代の人間がネットでどんどん起業していく。なのに大阪では風が吹いていない。こうしてはいられない!と焦りがあったと思います。経営に直接携わりたくて、投資会社を退職して東京に戻ることにしたのです。結婚して半年後のことでした。

さまざまな新規事業の立ち上げに参画。が、なかなか当たらない!

ファッション分野でPEPSI、ニューバランスなどの商標権や、パラマウント映画、ソニー・ピクチャーズ」など映画・アニメ分野の著作権、マイケル・ジャクソン、オードリー・ヘップバーンなど音楽家・俳優の肖像権などを扱う。

・経営企画室にてグループ内外企業の事業計画・資本政策を担当。
・音楽事業として、自社ライブハウスの立ち上げ・運営
・人気イラストレーターのオリジナル・アニメ映画の企画
・オリジナル・キャラクターの企画、アパレル商品化
・東京・四谷でベンチャー企業を対象にしたコンセプトビルの運営
・東京&大阪で500社が加入する異業種交流会の企画&運営

子会社の立て直しで社長就任。マネジメントに苦労してコーチング学ぶ

2002年9月~2004年2月(30~32才、1年6ヶ月)
株式会社SPM 代表取締役 社長
「衣・食・住・遊」などライフスタイル分野のスタートアップ企業向けコンサルティング業務(社員10名・売上高1億2千万円)

29才で社長となって経営計画を立案し、顧客先70社への現場指導および営業統括を行ったのですが、これが大変でした。何しろいきなり経営者になってしまい、営業経験の無い部下を鍛えつつ、売上利益も上げていかないといけない訳ですから、睡眠時間を削ってヘロヘロになっていましたね。そんな時、マネジメントの勉強になると思ってコーチングの勉強を始めたのです。

仕事=人間関係。メンタルがとても大事だと気づき、探究を深める

ベンチャーの現場に来て最も痛感したのは、仕事のモチベーションが低い人は能力もアップしていかない、ということ。何のために働いているか?が明確になっていないと簡単に仕事が止まるのです。

もともとは経営に役立てば良いと思って学び始めたコーチングが面白くなり、ちょうどコーチ養成機関のCTIジャパンの立ち上げとも重なり、コーチ養成コース第3期を1年間にわたって受講することに。個人に焦点を当てた引き出す技術が、起業家との面談で培った経験とつながり、魅力的に思えました。

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